No.24332 文句だらけの義母に優しく出来ない自分。

質問(相談内容)
■ Q :
私の心の闇に光を見出したく投稿いたしました。聞いて頂ければ幸いです。母が入院中で今回は呼吸器系の急性疾患で入院しなのですが、入院初日に転倒。その後の処置に不信感も募り転院しまして、現在容体は安定しました。が、入院も長くなると母持前の気質も前面に出て、文句だらけの日々になります。体が辛いのはわかりますが毎日顔を出す者に向けられる、恨み節にはウンザリします。病室のカーテンを開けた途端に文句、文句。私はうんざりで吐き気がしてきます。病院にも注文の多い患者と思われていると思います。母は確かに長年住んだ自宅にも住めず、老人ホームでの面白くない毎日。可哀そうかもしれません。でもそれを受け入れるしかないのです。相当の葛藤があるのは娘にもわかります。でも毎日病院に行く者の大変さ(精神的、肉体的)は二の次なのです。「自分が一番可哀そう」な母。それを目の当たりにすると可哀そうと思うより、なんて自己中なんだろうと冷めた目で見てる自分も正直います。私も精神的に病んでいるなと自覚するのですが、子供の頃そして現在もある母からの精神的&(肉体的虐待は今は無いですが)を思い出し、母を心配し病院へ通ってる自分がありながら何もかも投げ出したい自分もいます。優しい夫の存在が有り難く、何とか精神のバランスを保っています。病的な程ネガティブな文句だらけの母との接し方。皆さんからのアドバイスなど聞けたら有り難く存じます。

回答(相談内容に対する回答とお礼)
◆A1 :
毎日のお見舞いご苦労様です。実の親子でもなかなかできることではありません。お母様は入院なさっているわけなので 毎日行かなくても 大丈夫ではないですか?もし病院からの指示であればこの限りではないですが。すこしお見舞いの回数を減らしたらどうですか?あなたが倒れたら お母様も困ることですし。それにあなたは充分やってこられた。お母様は心も少し病んでおり、人のことを思いやる余裕は現在のところないんだと思います。決してあなたのせいではないです。あなたのようにまじめで優しい方は、無理してご自分の健康を損なってしまわないか心配です。どうぞご自分にも優しくしてください。ご主人様と旅行でもどうですか?

◆Q :
読んでいて心が暖かくなりました。ありがとうございます。おっしゃる通り。そうなんです、毎日行く必要性はないのです。が私の中の罪悪感?的なのが顔を出して来て「行かなければ」という義務感で行ってるんです。これも母の人生は可哀そうという呪文が聞こえて来るようで。兄を20年前に亡くし、今は難病疾患もあり闘病中。娘の私しかいないので、、、。今日は退院日時が決まり、ホームへ持って帰る荷物を迎えのバンに積むため、病室に持って行ったのですが、、、衝突。特に揉める大きな要因はないのですが、母曰く私の態度が悪いと。私も人間ですから(器はちっちゃいのは承知ですが)そうそうニコニコと文句の塊の母に接することができないのです。今日は無理やりにも「良かった事を話そう。」と肯定的な話を探してみましたが、すぐ文句に戻ってしまいました。
「昨日お風呂に入ったって?看護師さん入れて下さった?」って聞けば「入ったわ。だけどゆっくり入れないし」という返事。事実そうだとしても「久しぶりにお風呂に入れた。有り難かった」という発想にはならない人です。必ず「でもね」と否定が入ります。もう80歳。この性格は変わらない事を私が受け入れられないのも良くないんですね。実母との距離の置き方。本当に難しいです。
ご提案の主人との小旅行。主人も同じ事を提案してくれていました。気分転換にと言ってくれます。実は今月末に行く海外旅行を前から予約していたのですが、今回の入院で取り消したんです。ちょっと旅行になんて言ったら母は「あんたたちはいいわね。」と恨み節が炸裂します。なので知らん顔で行くしかない。ああ、私も母の子。文句連ねていますね、ここで。反省?こうやって聞いて頂ける事、本当にありがたいです。余談になりますが、森津純子医師ホスピス医)の本に「絶対に幸せに死ぬ方法」というのがあります。自殺の勧めの本じゃありません。「いかに死ぬか」という事を考えた時「いかに生きるか」が見えてくるというような事が書かれた素晴らしい本です。
その中に先生が出会った患者さんの中に「どうしても幸せに安らかに死ねない患者さん」がいる事に気がついたというのです。闘病中とはいえ「感謝の気持ちが足りない」患者さん。自分の思った様にならないと「自分はもうすぐ死ぬのに皆ひどい」とわめく。先生は人間最後まで社会の一員である自覚を忘れたらいけないと言います。厳しいけれどこれが現実、社会のルールなんです。ありがとうの気持ちが増えると周りの方々ももっと理解協力してくれる。皆が理解してくれない、自分だけが不幸、と思ってる人は死ぬ時「生きてきたように死ぬ」という事実がわかっていない。諭す立場にはないですが、もしこれを聞かせたら私の母はどんな風に感じるのだろう。

◆A 2:
具体的にはどんな文句を言われるのですか?差し支えない程度で結構ですので教えて頂けませんか?

◆Q :
どんな文句・・・。テープに取ってお聞かせしたい!とにかく「良かったわ?」という言葉はほとんど母は使いません。看護師さんのカーテンの閉め方に始まって、食事に関しての文句。確かに病院食に美味しさはないですが、差し入れしたり差し障りのない範囲で援助しても「足りない」のです。満足することはない。笑ってしまいますが、たらこが食べたいと言うので焼いて持って行くと「焼き方が良くない。こうやってこの位の感触で」と言います。そして私は病院の食堂にあるオーブントースターで焼き直すのです。本当にぶち切れそうな自分がいます。病室のカーテンを開けると自分が変わるのを感じます。防護壁を張るというか、母に傷付けられないようにしてる自分。もう40ですよ。情けない?。子供の時と同じ。病院内にあるカフェテリアに連れていけば「こんなとこがあったのに
黙っているなんて。あんな不味い食事に我慢してるのに」と恨み節。病院食以外を食べるという行為は病院側は許可していませんしあくまでも患者自身の責任で食するのです。「どうなったって構わないし、死んだって構わない」と言いきっています。こんな風です、毎日。今日は45分で退散ギブアップ帰宅しました。文句を言う時はエネルギーに充ち溢れた母。悲しいな。

◆A3 :
うちのおばあちゃんには、リハビリも必要だけれど、自分が動けると思いこんでいるし、体を触られると怒るからリハビリは無理かもしれません。状況はにています。対応策はいくつかあります。
1、こちらの辛さ(今と昔の)を延々と淡々と話す。(これが一番大事かと・・・)
2、食事に関しては差し障りないものを差し入れしてあげる
3、主人をつれていくとおとなしくなるのでできるだけ協力してもらう。
  たまに説教してもらう。
4、相手のグチに関してはオウム返しに同情をこめて返事してあげる
5、病院の帰りにはご馳走を外食する。
6、後何時間かの我慢だと自分に言い聞かせ楽しい時間を用意する。
  (ビデオみるとか、好きなテレビの録画見るとか・・・)
以上は私がやっていることで参考になるかわかりませんが。
あたしも、ほっときゃいいのに何で私が・・・という思いと罪悪感の間を行ったりきたりです。
父がいなくなるまでこれの繰り返しだと思っています。被害者意識がでてきたら距離をおき、距離を置くと罪悪感が出てきてまた優しくする。 優しくすると文句を言われ傷ついて馬鹿らしくなって距離を置こうとする。 ぐるぐる・・・ でもかわいそうな自分にだけはなりたくありません。
全ての行動は自分のため、自己責任です。自分が犠牲になる気はありません。
お互い立場は違いますが自分の幸せ一番で行きましょう!
追伸です。優しく出来ない自分ではなく、冷たく出来ない自分なのではないでしょうか・・・。
私も今日は胃が痛いです。自分の健康を一番にしたいと思っています。少し心理的に距離を置くなど罪悪感を感じる選択をしないといけないときは自分で自分を説得して少し合理的に考えるように努力しています。わたしもかもしかさんも本当は冷たく出来ない自分に苦しめられているんだと思います。介護ストレスは当事者でないと理解できません。優しくて思いやりのある人は自分の健康を常に最優先すると決意しないと病んでしまうのではないでしょうか・・・。私は自分の健康第一だと日々自分に言い聞かせています。お互い不幸になるのは避けてがんばりましょうね

◆A2 :
感謝するのって難しいですよね。実母様ですよね?ウチの母も感謝なんてしませんよ。
尤も、私も母に感謝の言葉を掛けてきたか・・・って言うと、憎まれ口は叩いても、優しくしたり労ったり、感謝したり・・・はしてないかもしれませんから、ウチの場合は「お互い様」なんでしょうけど。さて、強迫観念的にお見舞いに行ってらっしゃるようですが、やはり距離をとるなど、接触回数を少なくする事をお勧めします。離れると薄れるので(怒りや悲しみなどのマイナス感情が)。
嫌な感情が積もって行ってる時に接触回数が多いとさらに2乗されてしまうので、止めたほうがいいです。たらこの件も普通なら(と言うか心に余裕がある時は)、「あっ?そうなんだ、じゃあ焼き直してくるね」で終わるし、焼き直して「固い」といわれても「固いのは柔らかくは出来ない、もうやいちゃったから、ゴメンネ」で終わり、に出来る。しかし、『普段から文句ばっかり言いやがって又かよ』状態が積もっているとそうは対応できないですよね。だから、その感情が薄れる時間が必要なのです。かもしかさんも、たらこの話「笑ってしまいますが?」と書いてるように、まあ、些細な内容なんですよね、内容自体は。ですが面と向かって向き合って毎回毎回だと『うんざり』度がアップするんですよね。私もかもしかさんと同世代ですよ。しかし、病院食以外禁止なのに何でカフェテリアに連れて行ってしまったのですか? 何か用事?文句を誘導してしまったような気がします。
ウチも言いますよ「死んだって構わない」とか「どうせ死ぬんだから」とか。私は「そうなんだけどポックリいってくれりゃあいいよ、それがなかなか死ねないのよね?人間は」と言い返しました。
ウチの母の話、自分が向き合ってる時はむかっ腹が立つんだけど、人に話すと面白いって聞いてくれたりします。ゲラゲラ笑うので「笑い事じゃないのよ、その時はもうムカ?っときてさ。」といいますが、それで私もストレス解消できたりします。話しているうちに自分でも笑っちゃう事もあるしね。人に話すのって大事ですよ。話せる人いますか?
あと、私は気に入った介護ブログを読んだり、コメントしたりしています。結構笑えて、クスっとでも笑えるのも大事。ですから、何かしら自分でのストレス解消法を持つといいと思います。
まずは接触回数・接触時間をすくなくしたりして、調整を図るのが先決ですが。かもしかさんの気持ち・・・解るよ、とっても。こうあって欲しい理想の母(理想の人間像)もいるしね。でも、親は捨てれないし、取り替えられないからね?。
>文句を言う時はエネルギーに満ち溢れた母。悲しいな。
 うん、そうかもね、でもさ?、私はこうも思うよ、『文句を言う事さえも出来なくなった母はもっと悲しいんじゃないかな』って。憎まれ口を叩くくらい元気なんだよね、もう少し大人しく言う事を聞いて欲しいと思うんだけど、今は。この先、文句を言えなくなってしまった母をみる時期がきたら、その時は本当に泣けてくる(切なくて涙がでる)んじゃないかな・・・って思うよ。
あんなにシャキシャキしてた母が、色々忘れて、置いたものをどこに置いたか忘れて部屋の中を、ワンコがウロウロするみたいに、探し回ってるのをみた時は胸がやっぱり詰まったもん。姿思い出すと涙が出るしね。

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