No.14905 どうして介護するのですか?認知症の祖母の介護で大変な母。

質問(相談内容)
■ Q :
私は17歳の高校生です。私の祖母は呆けていて、母がずっと世話をしています。おむつをしても、勝手にとってしまい、布団や服を汚したり、食べ物をポケットに詰め込んだり、亡くなったおじいちゃんを捜し回ったり、もう我慢できません。母が一日中祖母の世話をしているのが、もう嫌です。
殺してしまいたいほど祖母が憎いです。どうすればいいのですか。母に老人ホームを考えたらと言っても、後悔したくないから。とだけ言ってまるでその気はないようなのです。母は腰痛がひどく、とても辛そうです。祖母は娘なんていないと言っていました。毎日毎日母が世話をしているのに何もわかってない。食器を片づけようとするとなにするんだ泥棒!といって顔を叩く。もう限界です。母が苦しむ顔を見たくない。もう殺してしまうかもしれない。どうしてそこまでして介護するんですか。私には理解できません。自分の人生を捨ててまで、母親を看るなんてそれが常識なんですか。私にはとてもできない。優しくなれない自分がとても嫌でたまりません。こんな風にしか考えられないなんて、私は最低です。私は人間失格です。途中からわけがわからなくなってしまいました。すみません。ごめんなさい。

回答(相談内容に対する回答とお礼)
◆A1 :
そうやって悩んでいる人は多いです。人の心は、愛憎というように、ふたつの感情の間で揺れ動くものだと思います。どちらがいいとはいえないことが多いのです。まず、お母さんと話されてみてはどうでしょう。どうしてお母さんは介護しているの?辛くないの?後悔って何?私ならこう思うの、というように。ただ、死んだらいい、とか、殺してしまいそう、という言葉は、お母さんを傷つけるかもしれませんから、言葉を選んでください。恐らく、お母さんは娘さんが介護についてそんなに思いつめていることに驚くかもしれませんし、喜ぶかもしれません。おばあさんを通して、家族が共通した問題を解決できるいい機会かもしれません。今の家庭は50年後のあなたの家庭かもしれません。

◆A2 :
とても心が痛みます。17歳の思春期に認知症のおばあちゃんと、愛するおかあさんの苦労を見ることはどんなにつらいことでしょう。勉強も手につかないでしょうね。まず私が言いたいのは あなたが自己嫌悪になることなど全くないということです。自分を傷つけないで下さい。介護の現場では多かれ少なかれ憎しみがあるのです。当然です。まして認知症はこちらが愛を与えても感謝すら返ってこないし・・・。お母さんはお祖母さんの元気だった頃を思って頑張っておられるのでは?いろいろ世話になった事など感謝することが一杯あって、それに恩返ししないと後悔すると解っておられるのでしょう。立派なお母さんですね。もしお母さんが老人になって介護が必要になったら、あなたはどうするかしら?今は「ホームにいれるわ。」と思うかもしれないわね。でもこれからあなたも結婚してお母さんになって、子供のことでいろいろ苦労をしたり子供への深い愛を知ったら、自然と母への感謝が強くなるものです。その時、今のお母さんの気持ちが理解できることでしょう。お母さんは出来る限りの事をやってやりたいと思っているのでしょうね。家庭が壊れてしまう程で、自分がだめになってしまいそうになったら、きっとホームも考えるとおもうの。だからお母さんの気の済むようにさせてあげて下さい。できれば手伝ってあげてほしいけど今のあなたには酷でしょうか。無理はいけません。お母さんには休養も必要です。ヘルパーデイサービスショートステイなどを使って体や時間や心に余裕をもっていただきたいです。最後にあなたは優しい人なのです。お母さんの事が心配なんですね。そんな良い子が自己嫌悪になんかならないでね。

◆A3 :
どうして介護するのか?ほかにどうすることもできないからです。楢山節考のように姥捨て山に捨てる時代ではないからです。あなたは若いからこの映画も元になったお話も知らないかもしれませんが、年寄りは山に捨てられるという話です。お母さんはもしかしたら老人ホームは現代の姥捨て山だと感じてるかもしれませんね。確かに老健施設老人ホームの中には車椅子ベットにしばりつけているところもあります。他人ならともかく自分の親や祖母のそんな姿を直視できますか?私は涙が出そうになった経験があります。でも自分で出来ることにも限界はあります。お母さんも自分の限界を自覚しないとそのうち倒れることにもなりかねないということを忘れないでください。

◆A4 :
いろんな方が、発言をなさっていますね。そして、ここに書かれていなくても、きっとあなたのことを心配されている方はたくさんいることと思います。私も、あなたと同じようなことを思ったことがあります。私の母はうつ病で、私が小さな頃から、よく床にふせっては「もう死にたい」と繰り返しいいました。私はそんな母が嫌で嫌で、ののしってしまうことも多く、それなら死んでしまえばいいのに、と何度も何度も思いました。そして、その度に自己嫌悪に陥るという繰り返しでした。病院に通っても、いろんな療法を試みても、20年近く経っても状態は良くならず、ある日母は自分で大量の薬を飲み、副作用妄想錯乱が2日続き、精神病院へ運ばれました。けれど、私が25歳のその夏、病院で別人と化した母を見た時、不思議なことに今までのわだかまりが全て溶けていくのを感じました。この人は私のことも父のことももうわからないけれど、この人はまぎれもなく私の母である。なぜかそのことを強く感じました。わけのわからない言葉を繰り返す母の、その心にどんな深い闇と苦しみがあるのか、そのことを思いました。私は母の手を握って、ずっとそばについていました。私のことがわからないのに、母は安心できるのか、眠ってしまいました。この人が私を産んでくれたから、私はこの世にいる。死なないで欲しい。生きていて欲しい。寝顔を見ながら強くそう思いました。その日を境に、私は母へ心から優しくできるようになりました。お医者さんは言いました。「どんなことがあっても、真綿でくるむように包み込んであげてください。それが一番の薬です。」そして有り難いことに、母は徐々に快復をとげました。病が消えてなくなったわけではありませんが、家族のことも認識でき、日常生活を営めています。そして、母がいたから私は今の自分になれた、と今感じています。今は苦しくて仕方がないかもしれません。けれどあなたがそうして、お母様の心を思い苦しんでいること。おかしな話かもしれませんが、それがお母様の心をどこかで助けています。そして、今の苦しみは決して無駄ではありません。あなたは一年前のあなたよりも、人が生きていくことの深さを知っているのですから。人を憎いと思ってもいいんです。辛くて泣いてもいいんです。がんばれなくてもいいんです。それでもきっとあなたは、また笑うことのできるあなたをきっと持っています。

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