No.39429 胃ろうの方が中心静脈栄養より自然?

No.39429は質問(相談内容)です。

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No.39429:胃ろうの方が中心静脈栄養より自然?[くる]ID:ttnGAOiC 2011/02/10 22:48
父(89歳)は咽頭がんの後遺症と老化で、嚥下障害があり、ミキサー食です。
先月末に食事を喉につまらせ、肺炎の恐れがあるので入院しました。
今後は口からの食事だけでは難しいので、なんらかの方法を考えていかなければなりません。
二つの選択肢があります。
・胃ろうにして療養型の病院を探して転院
・中心静脈栄養にして現在いる老人ホームへ戻る
中心静脈栄養なら訪問看護で老人ホームで対応できます。
ただし吸痰が必要になってきたら対応できません。
現在は5口ほど食べられるようになりましたが、まだ吸痰が必要です。

老人ホームに戻ってもわずかの時間しか暮らせないなら、胃ろうの方がいいのかなとも思います。
父が決定すればいちばんいいのですが、性格もあり、困難です。
私は独身で兄弟もなく、母は認知症でグループホームにいます。

発言一覧

以下、No.39429の質問に対する回答です。

 39429: 胃ろうの方が中心静脈栄養より自然? [くる] ID:ttnGAOiC 2011/02/10 22:48
 └◇39962: Re: 胃ろうの方が中心静脈栄養より自然? [くる] ID:ttnGAOiC 2011/03/05 21:37 評価
  └◇40229: Re: 胃ろうの方が中心静脈栄養より自然? [ゆまい] ID:a1IcCPSp 2011/03/22 20:21 評価
   └◇40231: Re: 胃ろうの方が中心静脈栄養より自然? [くる] ID:ttnGAOiC 2011/03/22 20:51 評価

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No.39962:Re: 胃ろうの方が中心静脈栄養より自然?[くる]ID:ttnGAOiC 2011/03/05 21:37
いろいろ考えましたが、先週、胃ろうにしました。
本人の意思や、それが難しい場合はこれまでの父の生き方を考えて決めるとか、いろいろあると思いますが、私は生きられるなら胃ろうでもいいのではと考えました。
元気な時は胃ろうをはじめ不自然と思われることはすべて排除したいと多くの人は考えるかもしれませんが、いざそうなった時、本当に意思は変わらないのか、疑問です。どんな形でも生きていてほしいと願う家族の気持ちはどうなるのか、あくまでも本人の意思なのか。
幸いにして父は痛みや苦痛はないので、安定した日々です。いまは胃ろうにしてカロリーはそちらから摂り、楽しみとしてゼリーや重湯を口から食べています。

ただ胃ろうにしたことにより、これまでの老人ホームは利用できなくなり、新たに胃ろう対応の施設を探しました。療養型の病院はどこも空きがなく、ショートステイのロングステイという不安定な形になります。最終的にはまた入院となるのかもしれません。

看取りのガイドラインとか、延命治療とかいわれても、杓子定規では割り切れない家族の気持ちを伝えたくて投稿しました。

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No.40229:Re: 胃ろうの方が中心静脈栄養より自然?[ゆまい]ID:a1IcCPSp 2011/03/22 20:21
そうですか。
くるさんの判断は間違いではないと思います。
いろいろな意見があると思いますが…。うちも1ヵ月ほど前に母が胃ろう造設しました。
体は不自由ですが、まだ判断のできる母にとって、当初は断固拒否されました。徐々に飲み込みが悪くなり栄養がとれなくなって衰弱していく間に彼女の考えも変化していきました。

今はまだ入院中ですが、来週あたり退院してきます。食べれなくても生きられる状態の人を胃ろうが手助けをするのです。点滴より自分の消化機能をを使うのですから自然ですよね。

くるさんのお父さんのように、うちも口にしてみたいものだけ、無理なく、また、口に入れて味だけも共有したいと思っています。

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No.40231:Re: 胃ろうの方が中心静脈栄養より自然?[くる]ID:ttnGAOiC 2011/03/22 20:51
ゆまい様、ありがとうごさいます。

父は先週退院していまはショートステイ施設にいます。
入院中は経管栄養はメディエフでしたが、いまは施設の嘱託医の処方でエンシュアを使っています。
退院してから、つまりエンシュアにしてから下痢が続き、きょう嘱託医の往診で下痢止めを処方されました。
本来ならメディエフに戻せばいいのですが、震災の影響ですぐには手に入らないとのこと。
ここは北陸で直接の被害はなかったのに、影響の大きさにいまさらながら驚きました。

経管栄養の種類はたくさんありますが、人によってあう、あわないがあり、難しいですね。

ゆまい様は在宅で介護なさるのですね。
気苦労や心配の多い日々が続くのかもしれませんが、苦労だけではないと思います。
ひとときの安心や小さな小さな喜びもあります。